Vol.64

香辛料 【épice/エピス】

松本百合子



さすがに香水大国だけあって、フランス人は香りが好きなのだなあと思う。興味をそそられる食べ物が目の前に出てくると、ワインのテースティングさながらお皿に鼻を近づけてくんくんとやり、「カルダモン?」「ジンジャー!」などと当てっこでもするように、その香りの根源や構成を知りたがる。プロに限らず、食を愛する人たちは香りにとても敏感だ。その証拠に、お料理好きの家庭のキッチンには、塩、胡椒、マスタード、オイルといった基本的な調味料も風味を数種取り揃え、クミン、クローブ(丁字)、ナツメグ、八角、シナモン、サフランなどの香辛料、そのうえ、ちいさなボトルに入ったレモングラス、タイム、セージ、アニス、ローズマリーなどのハーブ類もずらりと並んでいる。フランスでは一般的なスーパーでも香辛料やハーブのコーナーが充実しており、お手頃な値段で入手できるという事情もあるのだろう。

しかし、フランス人が好きなのは良いにおいばかりとは限らない。たとえば、豚の内蔵を腸に詰めたソーセージ、アンドゥイエットは、敢えて言うなら獣のようなにおいがして、私は近づくことさえ無理。アルザス地方のウオッシュタイプのチーズ、マンステールは、お味はマイルドで美味しいので鼻をつまみながら食べたくなる。これはほんの一例だが、こうしたなんとも形容しがたい食べ物を大好物とするフランス人のにおいに対する許容範囲の広さには驚かされるばかりだ。

嗅覚については寛大なフランス人だが、味覚の好みははっきりしている。辛いものが苦手なのだ。かつてフランス人を数人連れて台湾ラーメンで知られる名古屋の「味仙」に食事に行ったときのこと。唐辛子のきいた料理の数々を前に、ふだんは饒舌なフランス人が押し黙り、涙目になって、勘弁してほしいと懇願してきたときの光景が忘れられない。

そもそもフランス料理にはピリッとした辛さのものがない。香辛料の種類は豊富でも、食材のコクと旨味を引き出すためにほんのりとスパイシーにするだけ。だからパリにいてがつんと辛いものが食べたくなったら、タイ、ベトナム、中華料理の店に駆け込むことにしているが、タイ料理のレストランで唐辛子マークが3つ付いた料理をオーダーしても、ひと口食べた瞬間にその希望の風船はしぼむ。ナンプラーのきかせ方がなんとも遠慮がちで、辛いものが苦手なフランス人に合わせてマイルドに仕上がっているのだ。

フランスにもすっかり定着した鮨でさえ、サビぬきで注文する人がまだまだ多く、あろうことか甘い醤油につけて食べる人も少なからずいる……甘い醤油とは日本の有名な醤油会社がフランス人の好みに合わせて開発したもので、個人的にはみたらし団子のタレを思い出させる味。よって、フランス人に倣ってこの醤油を付けようものなら、鮨はもはや鮨ではなく、まったく別物となる。

というわけで、ピリッとした刺激がほしくなったときのために、冷蔵庫には北アフリカのチュニジア発祥のスパイス、HARISSAアリッサを常備している。(フランス語では発音しないのでアリッサとなる)赤唐辛子を主としたペーストで、豆板醤にちょっと似ている真っ赤なアリッサ。クスクス料理に添えるものとして知られるペーストだが、私はペペロンチーに赤唐辛子を入れる代わりにアリッサを和えたり、鶏の唐揚げにそのまま付けたり、サラダのドレッシングに小さじスプーンくらいたっぷり混ぜたりして、ピリピリ感を楽しんでいる。その横でフランス人の夫は、アリッサをふんだんに使いまくる私の姿を見ただけで汗をかいている。

イエス・ノーは明確にしたがるフランス人がマイルドな風味を好み、物事を曖昧にしておく歯切れの悪い日本人がきっぱりと際立つ味を好む。このコントラストがおもしろい。





Profile

松本百合子 まつもと・ゆりこ
翻訳者。上智大学仏文科卒。エマニュエル・ラボリ『かもめの叫び』(角川文庫)、スアド『生きながら火に焼かれて』(ヴィレッジブックス)、北野 武/ミシェル・テマン『KITANO PAR KITANO』(早川書房)、リシャール・コラス『波 蒼佑、17歳のあの日からの物語』(集英社)など多数。
翻訳のかたわら、フランス人シェフの夫、ドミニク・ブシェのパリと東京のレストランでマダム業もつとめる。

最新刊:2016年ゴンクール賞作品
「ヌヌ 完璧なベビーシッター」
(レイラ・スリマニ著/集英社クリエイティブ刊)



Illustrated by Mie Onodera

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